竪堀
1月30
11月30
赤館跡は、赤館公園として整備されています。前回の記事にある新白河からのバスで、公園下というバス停のすぐ近くに登城口があります。
しかし、気づかずに、終点の棚倉駅まで行ってしまったので、棚倉城のあとにこちらに来ることになりました。
この城のある山には、車道も整備され、駐車場もあります。私は徒歩で登りましたが、結構大変。
赤館跡の案内板。
公園整備されているのは、主郭跡のみ。
主郭下の腰郭、あるいは横堀?のような地形です。
赤館公園は、整備されている本丸だけだと、やや、がっかりするかもしれません。
この城跡の白眉は、車道脇のヤブ化した山林の中にあります。車道脇に見える竪堀。
:
こちらもわかりにくいですが、竪堀です。
駐車場脇からヤブ化した山林内部に踏み込んでいきます。
見事な横堀が、ヤブ化した山林内部に現れます。
しかもこの横堀は、二重になっています。
ご覧のように、倒木もあり、歩きにくい状態ですが、この横堀は見所がありました。
途中から見た、棚倉町市街地の風景。
赤館公園は、磐城棚倉駅からでも、徒歩15分~20分ほどで行くことができます。
しかし、気づかずに、終点の棚倉駅まで行ってしまったので、棚倉城のあとにこちらに来ることになりました。
この城のある山には、車道も整備され、駐車場もあります。私は徒歩で登りましたが、結構大変。
赤館跡の案内板。
公園整備されているのは、主郭跡のみ。
主郭下の腰郭、あるいは横堀?のような地形です。
赤館公園は、整備されている本丸だけだと、やや、がっかりするかもしれません。
この城跡の白眉は、車道脇のヤブ化した山林の中にあります。車道脇に見える竪堀。
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こちらもわかりにくいですが、竪堀です。
駐車場脇からヤブ化した山林内部に踏み込んでいきます。
見事な横堀が、ヤブ化した山林内部に現れます。
しかもこの横堀は、二重になっています。
ご覧のように、倒木もあり、歩きにくい状態ですが、この横堀は見所がありました。
途中から見た、棚倉町市街地の風景。
赤館公園は、磐城棚倉駅からでも、徒歩15分~20分ほどで行くことができます。
11月18
この遠征でも、楽しみにしていた一つの久川城跡。
ここは遠かったです。車で、鴫山城跡からも、40~50分くらいかかりました。
石碑と案内板。
七曲と呼ばれる、ジグザグの通路を登っていきます。ここは、割合と歩きやすかった。手入れが行き届いているようです。枡形門跡。
郭内部側から振り返ったところ。
広い郭跡です。下草がなく、とても手入れが行き届いている印象。
これは、何だろうか(笑)我ながら何を撮ったのか、記憶にございません。
ただ、この辺りにも堀があったようなので、この辺が堀跡と思ったのか?
こちらはまごうかたなき、空堀と郭を囲む土塁です。
しかし、だいぶ、埋もれてしまっているのか、浅くなってしまっています。土塁の規模からすると、もっと深かったように思えます。
空堀の終点の土橋?のような土の盛り上がり。反対側も堀だったが、埋まってしまったのか、もともとなのか。ちょっとわかりにくいです。
主郭の切岸が、見事に切り建てられています。個人の妄想ですが、ここも、腰郭というよりは、横堀が展開していたのではないか?と思いました。
主郭内部の様子です。土塁が囲んでいます。
城跡の石碑。
長大な竪堀。竪堀は、頭上の堀切からまっすぐに下りているようです。登ってみればよかった。
これも竪堀かな。
横堀?散策路のために埋められてしまっているようです。
久川城跡、楽しみにしていたのですが、よく残されているとも言えますが、よく壊されてもいるようで、個人的には鴫山城に引き続き、あまり、ピンとこない城跡でした。
ここは遠かったです。車で、鴫山城跡からも、40~50分くらいかかりました。
石碑と案内板。
七曲と呼ばれる、ジグザグの通路を登っていきます。ここは、割合と歩きやすかった。手入れが行き届いているようです。枡形門跡。
郭内部側から振り返ったところ。
広い郭跡です。下草がなく、とても手入れが行き届いている印象。
これは、何だろうか(笑)我ながら何を撮ったのか、記憶にございません。
ただ、この辺りにも堀があったようなので、この辺が堀跡と思ったのか?
こちらはまごうかたなき、空堀と郭を囲む土塁です。
しかし、だいぶ、埋もれてしまっているのか、浅くなってしまっています。土塁の規模からすると、もっと深かったように思えます。
空堀の終点の土橋?のような土の盛り上がり。反対側も堀だったが、埋まってしまったのか、もともとなのか。ちょっとわかりにくいです。
主郭の切岸が、見事に切り建てられています。個人の妄想ですが、ここも、腰郭というよりは、横堀が展開していたのではないか?と思いました。
主郭内部の様子です。土塁が囲んでいます。
城跡の石碑。
長大な竪堀。竪堀は、頭上の堀切からまっすぐに下りているようです。登ってみればよかった。
これも竪堀かな。
横堀?散策路のために埋められてしまっているようです。
久川城跡、楽しみにしていたのですが、よく残されているとも言えますが、よく壊されてもいるようで、個人的には鴫山城に引き続き、あまり、ピンとこない城跡でした。
この城跡も、以前から行きたかった城跡です。
向羽黒山城跡は、会津若松駅からバス、または、会津鉄道で、歩いていくこともできますが、本数も少なく、また、広域に遺構が展開していますので、車での訪問のほうが良いと思われます。
国指定史跡に指定され、続日本100名城にも選定されています。
向羽黒山城跡資料室。100名城スタンプとパンフレットは、ここで入手できます。この日は休館日でした。
向羽黒山城跡は、三つの山にまたがり縄張りされた巨大要塞。要所に駐車場がありますので、車で回ることが可能です。
一曲輪下の駐車場に停め、一曲輪に向かう途中の屈曲した横堀です。
竪堀です。
虎口です。枡形になっています。
一曲輪下の三日月状の空堀です。この城跡は巨大すぎて、とてもじゃないですが、紹介しきれないので、印象に残った遺構だけ、掲載していきます。
一曲輪背後には、巨大な堀切が二本、穿たれており、この堀切の先は長大な竪堀として、山麓まで続いているようです。
また、車に戻り、二の丸下の駐車場に移動してきました。確か、水の手曲輪周囲の横堀。迷路のように張り巡らされています。
これも竪堀だったかな。
土橋と虎口。
土橋上から見た堀底に残る石積みの仕切り。これは遺構なんでしょうか?何のために造られたのでしょうか。
また、車道を移動してきて、三の丸近くの駐車場に車を置き、道路わきの散策路を歩いてきた先の、伝盛氏屋敷跡周辺の段曲輪。
深い横堀と土塁が折れ曲がりながら、迷路のように続いていました。
この辺りはきれいに整備されていて、見ごたえがあります。
土塁のついたきちんと削平された郭です。
車で、主要な部分だけ回ったつもりでしたが、気づくと、3時間以上も滞在していました。
それでも、おそらく半分くらいしか見れていないと思います。この城は、見どころ多すぎて、何度訪れても、飽きない城跡だと思います。
向羽黒山城跡は、会津若松駅からバス、または、会津鉄道で、歩いていくこともできますが、本数も少なく、また、広域に遺構が展開していますので、車での訪問のほうが良いと思われます。
国指定史跡に指定され、続日本100名城にも選定されています。
向羽黒山城跡資料室。100名城スタンプとパンフレットは、ここで入手できます。この日は休館日でした。
向羽黒山城跡は、三つの山にまたがり縄張りされた巨大要塞。要所に駐車場がありますので、車で回ることが可能です。
一曲輪下の駐車場に停め、一曲輪に向かう途中の屈曲した横堀です。
竪堀です。
虎口です。枡形になっています。
一曲輪下の三日月状の空堀です。この城跡は巨大すぎて、とてもじゃないですが、紹介しきれないので、印象に残った遺構だけ、掲載していきます。
一曲輪背後には、巨大な堀切が二本、穿たれており、この堀切の先は長大な竪堀として、山麓まで続いているようです。
また、車に戻り、二の丸下の駐車場に移動してきました。確か、水の手曲輪周囲の横堀。迷路のように張り巡らされています。
これも竪堀だったかな。
土橋と虎口。
土橋上から見た堀底に残る石積みの仕切り。これは遺構なんでしょうか?何のために造られたのでしょうか。
また、車道を移動してきて、三の丸近くの駐車場に車を置き、道路わきの散策路を歩いてきた先の、伝盛氏屋敷跡周辺の段曲輪。
深い横堀と土塁が折れ曲がりながら、迷路のように続いていました。
この辺りはきれいに整備されていて、見ごたえがあります。
土塁のついたきちんと削平された郭です。
車で、主要な部分だけ回ったつもりでしたが、気づくと、3時間以上も滞在していました。
それでも、おそらく半分くらいしか見れていないと思います。この城は、見どころ多すぎて、何度訪れても、飽きない城跡だと思います。
8月6
千曲市の屋代城跡は、しなの鉄道屋代駅から、すぐ東側に見える丘陵が城跡になります。
登城口。屋代駅は西側に出口がありますが、そのまま北側に進み、踏切を渡ったすぐのところに登城口があります。
堀切から続く竪堀です。
登城口を登りつめると、神社があり、社の背後から道が続いています。すぐに堀切がありましたが、そこは笹藪でした。
ウナギの寝床のような細長い郭です。屋代城跡は、細長い尾根を堀切で断ち切り、細長い郭を設けています。
この城の見どころは、この何本かある堀切です。
土塁です。
ここが、主郭でしょうかね。
この先にも、尾根は続いていて、遺構もあるようなのですが、時間の都合上、ここで引き返してしまいました。
この日は、小諸城から、上田城、そしてここ、松代城と回ったので、分刻みのスケジュールでした。
最後に、また堀切。
屋代城跡は、信濃の国衆屋代氏の居城。村上義清に味方していたものの、武田信玄が侵攻してくると、裏切り、武田信玄従ったようです。
登城口。屋代駅は西側に出口がありますが、そのまま北側に進み、踏切を渡ったすぐのところに登城口があります。
堀切から続く竪堀です。
登城口を登りつめると、神社があり、社の背後から道が続いています。すぐに堀切がありましたが、そこは笹藪でした。
ウナギの寝床のような細長い郭です。屋代城跡は、細長い尾根を堀切で断ち切り、細長い郭を設けています。
この城の見どころは、この何本かある堀切です。
土塁です。
ここが、主郭でしょうかね。
この先にも、尾根は続いていて、遺構もあるようなのですが、時間の都合上、ここで引き返してしまいました。
この日は、小諸城から、上田城、そしてここ、松代城と回ったので、分刻みのスケジュールでした。
最後に、また堀切。
屋代城跡は、信濃の国衆屋代氏の居城。村上義清に味方していたものの、武田信玄が侵攻してくると、裏切り、武田信玄従ったようです。
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