マリンブルーの城攻めと食べ歩きの日記

城跡巡りと、食べ歩きの日記。

日本100名城

主に、茨城県や千葉県を中心に、全国の土の城跡を中心に、城攻めをしています。

訪れた城跡や、各地の風景など、綴っていきます。

また、全国各地のグルメもレポートしていきます。

岐阜県恵那市 岩村城跡 日本100名城4

岐阜県恵那市の岩村城跡は、国史跡、日本100名城。


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岩村城跡には、明知鉄道岩村駅から徒歩20分くらい。駐車場も完備しています。この復元された建造物の先に駐車場がありました。私は、徒歩で一度、車で一度、訪れています。

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登城道です。岩村城は山城ですが、登城道が整備されていて、比較的、訪問しやすい城跡です。

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大手道を進みます。

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石垣が見えてきます。

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桝形門跡です。


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順番が前後しますが、こちらは脇門跡の石垣だったと思います。

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ここはどこだか、わかりません。本丸に上がっていくところかな。

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岩村城最大の見どころ、六段構の石垣。


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本丸跡の石垣(だったと思います。)

このほかにも、戦国時代の山城の遺構も残っているようなのですが、二度の訪問では見切れていません。

岩村城は、戦国時代は、遠山氏の居城でした。

岩村城の立地を重視した織田信長は、遠山氏に叔母を嫁がせます。

この叔母が、夫亡き後、女城主として武田の武将秋山信友を迎え撃ちますが、かなわず降伏。なんと敵将信友の妻となってしまいます。

激怒した信長は、大軍を差し向け岩村城を攻撃、助命を条件に降伏開城しますが、信長の怒りは収まらず、夫婦ともども逆さ磔にかけて処刑、城兵も皆殺しにされた、と伝えられています。

東京都千代田区 江戸城跡 日本100名城4

東京都千代田区江戸城跡。言わずと知れた江戸幕府徳川将軍家の居城です。

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江戸城巽櫓(解体復元)

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石垣と水堀。

礎を築いたのは、かの有名な太田道灌、その後後北条氏の支城を経て、小田原征伐後、関東に入った徳川家康が本拠を構えました。

現在は皇居が置かれています。

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二重橋と伏見櫓。

アクセスは、東京駅、大手町駅、竹橋駅、二重橋駅などなど、いくつもの駅からアクセスでき、さらに飯田橋駅や四ツ谷駅周辺にも遺構が散在しています。

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大手門からの皇居東御苑入り口。

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皇居東御苑には、三か所から入場することができ(荷物検査と札を渡されます)、富士見櫓や、大番所、巨大な石垣など見ごたえ満点で、緑を楽しみながらの散策が可能です。

訪れた時点では、即位の礼の準備で、本丸が一部立ち入り制限されていました。

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同心番所。

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百人番所。

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大番所。

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巨石を用いた石垣。

当日も、外国人の方など、観光客がいっぱいでした。

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富士見櫓。天守閣焼失後は、天守の代用を果たしたとされる、城内唯一の三層櫓です。

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天守台石垣。

まだまだ見きれていないので、またの散策を予定しています。

新潟県上越市 春日山城跡 日本100名城5

言わずと知れた、上杉謙信公の居城春日山城跡。

なぜか、行く計画を立てるたびに、天候に恵まれず、今回、ようやく行くことができました。

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春日山城跡大手登城口。

はねうまライン春日山駅から、登城口まで徒歩で30分くらいでしょうか。

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番所跡の土塁跡。

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柿崎屋敷跡。登城口からここまで20分くらいでしょうか。

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柿崎屋敷跡から景勝屋敷跡に向かう切通しの通路。

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景勝屋敷と、柿崎屋敷間の堀切。

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景勝屋敷跡と主郭間の堀切。

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上杉景勝屋敷跡。そこそこ広さのある郭です。

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あれ?この堀切どこだろうか。

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此処も堀切ですね。土橋状の狭い通路。


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本丸跡。思ったよりも狭い空間です。

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順番前後しましたが、井戸曲輪跡には、大井戸が今も水を湛えています。


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千貫門跡付近の空堀。


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その手前の竪堀のように、下の曲輪に続く空堀。

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最後に上杉謙信公の像。

春日山城跡、期待に違わず、見どころ満載の城跡で、時間のたつのも忘れてしまいました。

国宝彦根城の雄姿

国宝彦根城。

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この日は大雨で、ほかにも行きたい山城があったのですが断念、彦根城のみ見学しました。

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佐和山口から攻城開始。

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近世城郭特有の枡形虎口。前から横から、バンバン撃たれます。


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内堀。

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登り石垣と竪堀。

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道を、本丸方面へ向かっていくと、天秤櫓が現れます。

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堀切と天秤櫓。ここでも、四方から袋叩きにされてしまいます。

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本丸への最後の関門。ここも枡形門になっています。どここまでも、徹底的に戦闘的です。

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西の丸三重櫓。

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堀切と竪堀。

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登り石垣と竪堀。

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大手門跡の石垣。ここも枡形。石垣づくりの枡形虎口は、当時の戦略では突破不可能な最強の防御施設、とのことです。

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登り石垣と竪堀。このころには、傘も役に立たない土砂降りになってしまい、ここまでで撤収。

見たかったけど見れなかった部分は、またの機会にとします。

三重県伊賀市 上野城跡 日本100名城3

三重県伊賀市上野城跡。

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現在は上野公園として整備され、伊賀鉄道伊賀線上野市駅から徒歩10分かからずに行くことができます。

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伊賀上野城といえば、この高い石垣が有名。


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高石垣の上から。高いところが苦手なので、これが限界。

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模擬天守。こちらは、地元の名士川崎氏が私財で建設したそうです。

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水堀。

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遠路の傍らに残る空堀跡。

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樹木が邪魔で見にくいですが、しっかりと残されています。

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確か、筒井氏時代の石垣・・・だったと思う。

上野城筒井氏の居城として築かれ、筒井氏改易後、藤堂高虎の手によって改修されました。現在の高石垣は、藤堂高虎の手によるものです。

江戸時代には藤堂家の城代が入り統治され、藤堂家の藩校も置かれました、

現在も一部が、国指定史跡として残されています。
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