加賀市の大聖寺城跡は、錦城山公園として整備されています。

1

案内板。


3

加賀市の指定史跡に指定されています。

2

城跡登城口。


4

5

パトロン事件(贋金づくり)の痕跡です。

大聖寺藩は、明治維新時、新政府軍に軍資金の供出を命じられ、贋金を作りました。

発覚後、責任者は、切腹しています。

9

本丸を目指して、登っていきます。

16

13

堀切などの明確な遺構は見られませんが、城跡っぽい雰囲気は満点です。

24

本丸跡の様子。

29

30

大聖寺城の石垣は、関が原合戦の折、この城を落とした前田軍によって持ち去られ、金沢藩の石垣に使われたようです。

40

43

堀切です。

63

59

こちらも、規模の大きな堀切です。

75

71

鐘が丸跡。

大聖寺城は、関ケ原の合戦時、前田軍の攻撃の前に落城し、城主山口父子は、自刃します。

その後、前田利常隠居時に、三男の利治が、7万石を分封され立藩。のち10万石になり、明治維新まで存続しました。

大聖寺藩の藩庁は、錦城山山麓の大聖寺陣屋に置かれたようです。いまは、小学校になっていました。