鹿沼市千渡城跡は、宝性寺の境内となっています。
JR鹿沼駅から、約徒歩30分、バスもあるかもしれませんが、確認していません。
私はレンタカーで訪問です。
正面に、宝性寺の山門が見えています。わずかながら、土塁も分かります。
堀跡に沿って、宝性寺の駐車場に来ると、正面が虎口?で、土橋がかかっています。
土橋から、駐車場のほうを見たところ。
土橋の上から見た、左右の空堀です。お寺の境内に沿って、直角に折れ曲がる堀の様子が分かります。
右側の堀に沿って、ぐるりと一周しました。
こちらも郭跡でしょうか。お寺の背後に当たります。
空堀と土塁が見事ですが、この辺りは、樹木が生い茂って、よく見えません。
この辺りの堀は、水が溜まっています。
往時は全周が水堀だったと思われます。
宝性寺山門は、往時の虎口と思われ、手前は、土橋がかかっていたようです。
道路沿い、宝性寺入り口わきの池が、往時の外堀の名残であるかもしれません。
千渡城跡は、宇都宮国綱により、天将年間に築かれたといわれ、宇都宮氏の国境の砦として機能していたようです。
JR鹿沼駅から、約徒歩30分、バスもあるかもしれませんが、確認していません。
私はレンタカーで訪問です。
正面に、宝性寺の山門が見えています。わずかながら、土塁も分かります。
堀跡に沿って、宝性寺の駐車場に来ると、正面が虎口?で、土橋がかかっています。
土橋から、駐車場のほうを見たところ。
土橋の上から見た、左右の空堀です。お寺の境内に沿って、直角に折れ曲がる堀の様子が分かります。
右側の堀に沿って、ぐるりと一周しました。
こちらも郭跡でしょうか。お寺の背後に当たります。
空堀と土塁が見事ですが、この辺りは、樹木が生い茂って、よく見えません。
この辺りの堀は、水が溜まっています。
往時は全周が水堀だったと思われます。
宝性寺山門は、往時の虎口と思われ、手前は、土橋がかかっていたようです。
道路沿い、宝性寺入り口わきの池が、往時の外堀の名残であるかもしれません。
千渡城跡は、宇都宮国綱により、天将年間に築かれたといわれ、宇都宮氏の国境の砦として機能していたようです。