マリンブルーの城攻めと食べ歩きの日記

城跡巡りと、食べ歩きの日記。

2018年12月

主に、茨城県や千葉県を中心に、全国の土の城跡を中心に、城攻めをしています。

訪れた城跡や、各地の風景など、綴っていきます。

また、全国各地のグルメもレポートしていきます。

公園整備のお手本 師戸城跡

千葉県印西市の師戸城跡。

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城跡の案内板。

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本丸跡からの印旛沼の風景。

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船戸大橋からの印旛沼の様子。

師戸城跡は、現在、印旛沼公園として整備され、見事な遺構が良好に残されています。

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良好に整備され、下草も刈られた空堀。

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土橋と二の丸の虎口。

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三の丸跡は、グラウンドになっています。二の丸跡は、高い土塁に取り囲まれています。

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三の丸と二の丸の間の空堀には橋が架かっています。これは、本来は土橋だったのか?

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二の丸と本丸の間は、浅い空堀で仕切られています。

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本丸の本来の虎口と思われるあたりから、二の丸方面を見たところ。

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先ほどの土橋の下には、深い空堀。土橋には、トンネルが開いて行き来できるようになっていました。


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師戸城跡は高い土塁と深い空堀が良好に残され、公園としてきれいに整備され、また、整備が遺構を傷めていない、貴重な城址公園です。

整備が望まれる臼井城址公園

千葉県佐倉市臼井城跡。

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臼井城址公園として、主要部は整備されています。

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土橋と本丸への虎口。

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土橋から見た空堀。

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案内看板も褪せています。

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深い空堀は、整備されたら、見ごたえがありそう。

以前は、草刈りをしてくださる地元有志の方もいたそうですが・・・。

現在は、高齢化などのために、手入れされる方もなく、密林のように下草が繁茂、雑木も伸びています。

ここまで来てしまうと、自治体の手による整備じゃないと手に負えないでしょうが、難しいでしょうね。

城址公園として残っただけでもよしとしましょう。

整備が進む本佐倉城跡

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千葉県佐倉市と酒々井町にまたがって存在する本佐倉城跡。

私が、初めて本佐倉城に登城したのは、7年くらい前になるでしょうか。それ以来、毎年、2~3回くらい登城しています。

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城址石碑の先に、駐車場があるのが分かります。以前は、駐車場はありませんでした。トイレも一応、ありますが、あのトイレはあまり使いたい感じではない。


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切通し状の東虎口。

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東山馬場跡。千葉氏の家紋入りの木の楯が狙っています。

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主郭と奥之山を隔てる大堀切。

基本的には整備されている本佐倉城跡。

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セッテイ山周辺の大空堀。この辺りももう少しだけ整備が進むとありがたいです。

マリブルの大失敗

先日、寺山館跡に行ってきました。

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事前に、棚倉町の文化財課に問い合わせて、パンフレットも送っていただいたのですが・・・。

このように途中まで、案内板も建てられており、登城道も整備されています。


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こんな感じで登っていきます。けっこう急登ですが、15分も登れば城跡につけます。

随所に、道しるべが立っているので、ふつうならば迷うはずもないのですが・・・。

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この案内看板と、枡形虎口がある郭が本丸だったのに、気づかずに数時間、彷徨い歩いてしまいました。

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竪堀です。


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本丸跡の土塁。落ち葉や小枝、倒木が堆積していてかなり歩きづらい状態。


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枡形虎口を下りた先の北東側堀切。この右手側に伸びる土塁上を歩けば、二重の大堀切を見れたんですが、何故か気づかず。

さんざんさまよった末に、あきらめて下山。帰りの車中で、何回も図を見返して、本丸に到達していたことにようやく気付いた次第です。

何年も山城攻めをやってきたのに、縄張り図も読めない、かけない、情けない限りです。

山形県山形市 山形城跡 日本100名城4

山形城跡は、霞城公園として整備され、国の指定史跡に指定されています。

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山形城跡には、山形駅から徒歩7分くらいで行くことができます。

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水堀と石垣です。

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水堀にかかる土橋を渡り、城内へ。

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二の丸大手南門の石垣。

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城跡内は、さらに復元整備が進んでいます。6年ぶりくらいに訪れたのですが、以前は、ここはまだ工事も進んでいない状況だったと記憶しています。


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復元整備された本丸を囲む空堀。往時は、豊富な湧水をたたえた水堀だったそうです。


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こちらも、以前、来たときは、まだ、工事中だった本丸大手門。

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城下町山形の礎を築いた最上義光公の騎馬像。

伊達政宗生母の兄として有名です。また、関ヶ原合戦では、直江兼続率いる上杉軍と、激戦を展開したことも知られています。


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二の丸大手東門。

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正面から見たところ。

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最上義光歴史館。100名城スタンプはここにあります。入館無料です。

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山形城の水堀と土塁。近世城郭特有の幅広の水堀です。

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石垣で固められた枡形門跡。


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すっかり暗くなってしまいましたが、枡形部分です。

山形城は、戦国時代は、最上氏の居城、最上氏は、関ヶ原の戦功により、57万石の大領主となりますが、孫の義俊の代にお家騒動などあり改易、最上家は、5千石の交代寄合として、家名は存続しました。

その後、鳥居氏24万石、保科氏20万石など、城主が変わるたびに石高を減らし、最終的には水野氏5万石で、明治維新を迎えております。
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