2017年07月
真壁城跡は国の指定史跡に指定されています。
交通手段は、車じゃないと無理だと思います。本丸だと思われる体育館の駐車場が使えます。
案内板があり、パンフレットが置いてあります。
水堀跡なんですけど、草に埋め尽くされています。
国指定史跡なのに、ほぼ、整備されていないようです。
ここも水堀と土塁です。草がぼっさぼさです。
土塁ですかね。
発掘調査中のようです。
水堀と土塁。しかし、この城跡は、どこを撮影してもこのような画像になってしまいます。
神社のある郭跡?あたりの空堀?虎口?我ながら覚えていません。
香取神社。鹿島神社だったっけ?
水堀。
虎口ですね。
真壁城跡、以前来た時よりも、草が伸びまくっていて、相変わらず、何がなんだかわかりませんでした。
もう少し、もう少しだけ草刈りをしていただけると、遺構の確認が容易なんですがね。
小田城跡のように、整備された姿が見られる日は来るのでしょうか?
結城城跡は、現在、城跡公園として、整備されています。
桜の時期は、にぎわうようです。
公園の駐車場は、特に決められた場所はないようですが、公園の入り口わきに空きスペースがあり、ここに停めていいそうです。
たぶん、駅からも歩けるはずです。
内堀跡。
土橋跡?
このあたり、かなり改変されており、どうなっていたのか、さっぱりわかりませんでした。
主郭跡。
こちらは、土橋ですね(たぶん)。
空堀です。ヤブと竹で、わかりにくいですが。
けっこう深くて、幅も広い空堀です。
この辺りから堀底を歩けそうですが、冬場ではないので、やめておきました。
本丸の城塁です。
水路は、水堀の名残でしょうか。
結城城は、関東の名族結城氏の居城。結城氏は、豊臣政権下も、大名として生き残り、養子として徳川家康の次男で、秀吉の養子(実質人質)秀康を迎え、結城秀康と名乗り、10万石を領します。
関が原戦後、功績により、越前67万石に封じられます。しかし、息子の忠直の代に改易。
秀康は、家康に疎まれており、次男なのに、家督を継げなかったことを恨んでいた、とも言われています。
この越前家は、福井藩30万石、また、津山藩10万石、確か、松江藩18万6千石も、越前家の流れです。
結城城は、いったん廃城になりますが、のち、水野氏が一万八千石で入城、結城城を復興します。
幕末は、親子で敵味方に分かれ、結城城を取り合い、激戦を繰り広げたそうです。
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