2017年07月
横須賀城跡です。
横須賀城跡は、JR袋井駅からバスで、七軒町下車。
一時間に一本しかありませんので、注意してください。
バス停から、住宅街のほうに入り、少し前方に進むとすぐ、左手に城址公園が見えてきます。
すでにバス停のあたり一帯も城域内になります。
公園内は、とてもよく整備されています。
横須賀城跡は、国指定史跡に指定されており、また、今年の城の日(4月6日)に発表された、続日本100名城にも選定されました。
横須賀城跡最大の見どころは、この丸石を用いた石垣です。
よく整備されています。
この日もですが、定期的に草刈が入っているようです。
とてもいい雰囲気です。
この城は、戦国時代、徳川家康が、高天神城の武田勢に備えて築かせた城のようです。
その後、江戸時代は、横須賀藩の藩庁として、藩主はめまぐるしく移り変わり、最終的に西尾氏3万5千石で、明治維新を迎えます。
見応えありますね。きれいに整備されていますし。素晴らしい城址公園です。
本丸跡にある復元模型。
天守台跡。
城跡碑は、旧西尾藩主の揮毫ですね。
切り立った城塁。ここもきれいに草が刈られています。素晴らしいですね。
巨大な広場に来ました。
何のための空間?建物が立ち並んでいたのでしょうか。
説明がありました。ちなみに、この城跡は国指定史跡だけあって、こういう案内はしっかりあります。
松尾山です。特に何もありませんでしたが、戦国時代は、見張り台?だったのでしょうか。
左手が本丸。ここ、ほりたくなりますよね。堀切兼虎口みたいな。
埋めてるけど、もっと掘り下げていたのかもしれないし。
水堀跡。三日月堀のように見えました。
徳川家康は、じつは、武田信玄をとても尊敬していたようで、自分の城にも、盛んに丸馬出を取り入れてたようですから、三日月堀をマネしていてもおかしくないように思います。
横須賀城跡、かなり見応えがあり、素晴らしい城跡でした。
いわずとしれた、名古屋城。御三家尾張徳川家の居城ですね。
石垣が修理中ですが、膨大な時間と費用が掛かるようですね。この日、どこで見たことがある人とすれ違ったのですが、名古屋市長。職員の方を一人連れただけでしたので、全く周囲は気づいてないみたいでした。
西南隅櫓・・・でしたっけ?
石垣。
枡形。
清正石
加藤清正公の像。
普請に駆り出された、福島正則が、清正に、
「跡継ぎでもない、せがれの城を、何で、我々が手伝わなねならない?」
こぼしたところ、清正は、
「不満なら国許に帰り、謀反の準備をしたらよい」
とたしなめたというのは、有名な逸話ですね。
このお手伝いの費用は全部、持ち出しですから、各大名の財政は窮乏した、と言われています。
清正公は、最も困難な石垣工事を、率先して請け負った、とされています。
空堀。昔は、鹿が住んでいたような記憶が・・・。
壮大な堀の数々。
そうまでして、忠誠を示しても、加藤清正(息子忠広の代)も、福島正則も、改易されてしまうんですから、幕府も非情ですね。
本丸御殿。この日はすごく混んでいたので、見学していません。
名古屋場所が開催中でした。
名古屋城へは、市営地下鉄市役所前駅からが便利です。
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